謀略は誠たるや?
昨今は第何次かの所謂「忍者ブーム」なのだといいます。
今までの忍者ブームと違うのは、歴史的、科学的な裏打ちや、地方の歴史や民俗にも言及できる懐の深さだと思われ、これは先導する方々の尽力の賜物だとも感じるし、多様な価値観が並立できる今という時代の要請だとも思えるわけです。
「甲陽吾妻の兵法」について、先祖同様頑なに黙ってきた私でしたが、世間の流れを鑑み、地域振興や子供達の体育、スポーツや競技への応用、そして洗練された平和の法としての応用、といったワクワクする事に限ってのみ公開をしようと考えています。
そのような影響もあってなのでしょうか。先日も私宛てに入門希望のメールが来ました。(最近はこう言う問い合わせも少なく有りません。)
その方は、私より一回りも上の、いろいろと武術や格闘術を経験されている方らしいのですが、是非とも忍術を教えて貰いたいのだと書かれていました。
私はこの方が何故「忍術」や、それに纏わる「格闘術」に興味があるのか、わかる気がします。
恐らくこの方は、プロの格闘家や競技者、または軍事関係者や戦争当事者ではないのでしょう。
ただ武術が好きで、忍術もその一つだと考えておられる純粋な方なのではないかと拝察しています。
今流行の外国の格闘術と同様、何か特別な秘法があって、それをニンジャが頑なに護っている・・・もしそうお考えならば、これは大変に期待を裏切ってしまうと思っており、どう返信したものか悩んでおります。
昔から「用兵に奇正あり」と申しまして、「正」を正規軍としますと「奇」と言うのは所謂諜報や謀略に関する部門。これが表裏一体の活動をすることで争いに利を得る事ができるのだと言います。
甲陽武田家伝の兵法について言いますと、これは日本の戦乱の歴史の中でも特筆するほどに「奇兵」を用いるのに長けていた。
ここに所謂忍者、らっぱ、すっぱ、草、カマリといった私達の体術のルーツを見ます。
これら「奇兵」の兵法、体術と言うのは、やはり謀略と一体となって発動します。
「そんなんで勝って嬉しいのか?」と思うくらい大変に「ずっこい」もので、また酷薄な印象のものが少なく有りません。
格闘技やスポーツからいえば、反則ばかりになってしまいますし、その考え方を開示すれば、人間性を疑われてしまいかねないようなものです。
例えば…貴方は必要であるならば、足を踏んで階段ですれ違った人を落とすことができますか?
これが平気ならば、貴方は忍者に向いているのかもしれません。
しかし、私は貴方と武について語る事をしたく有りません。
大義名分がたつ戦争であるならば、貴方は敵を討つのに悦びを感じるでしょうか?
謀略が強大な敵にだけ向かうと思うのなら、貴方はテレビや映画の見すぎかもしれません。
奇兵の狙うところは、いつの時代も女、子供、老人、農民、糧道、水手、こういった正規兵の及ばぬところです。
犠牲者は何時でも弱き立場の人たちなのだと肝に銘じて下さい。
私達の先祖は、有るときは勇猛に、有るときは残酷に徹して一所懸命生き抜いて来たもの達ばかりです。
私の知る限り「ニンジャ」は「ヒーロー」では有りません。実はあまり面白いものでも有りません。
ですから私達の先祖は秘匿してきましたし、私もそういった暗いものについては極力出すべきではないと考えています。
私の道場でも(当たり前の話ですが)武術が大好きな方は結構居て、その中でも「吾妻流躰術」は人気があります。
なぜなら、それは私がそれを(判りやすく)(現代的バイアスをかけたうえで)紹介しているからで、恐らくそうでなかったら(ニンジャごっこ)に終始してしまったと思います。
いや、真面目に(ニンジャごっこ)が出来るこの世界が素晴らしいのです。
これからは、そこに古伝の知恵が入ってきて、影の世界にいた方々の想いが日の当たる場所で花開けば良いな、と切に願っています。
そのような意味から私は「兵法」を「平法」と言い換えて、平和の法としてお伝えしていきたいと考えています。
忍術由来の体技を「平法」として楽しみたい、という「温故知新」の志有るかたとは、是非この道を共に致したく存じます。
甲陽吾妻流躰術 伊與久雷斎 謹白
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