太和躰術協会

会員の声・論考など

みんなの論考集

会の活動も10年を超え、会員の声・論考などが集まって来ましたのでその一部を公開いたします。
・忍術・体術そして身体操法へ
・合宿を振り返って
・東洋体育との出会い
・太極剣と太極拳

忍術・体術そして身体操法へ

子供の頃、忍者ごっこに興じた経験のある方は、少なくないのではないでしょうか。
小説、アニメ、映画といった媒体を通して様々な忍者が活躍し、忍者ブームは何度も繰り返されて参りました。
多くの人が想い浮かべるであろう忍者像。

それは、
「ササッと指を組み合わせて、ドロンと消えてしまう」、
「手裏剣や鎖鎌等の特殊な武器を使う」、
「側転やバク転をしながら、飛ぶように駆けていく」
といったところではないでしょうか。

つまりは、「摩訶不思議な戦術を駆使する、恐ろしく運動神経の良い人」ということになります。
ところが、実在した忍者がみな超人揃いだったのかといいますと、必ずしもそうではなかったようです。
そもそも、現実の忍者には、特別に高度な体術は要求されていなかった、という説があります。(因みに、ここでは体術=身体操法・格闘術と定義します。)

戦国時代の広大な戦場において、1人・2人の強者がいたからといって、それが戦局を左右するとは限らなかったからです。
それよりも、そこそこ出来る人材を大量投入した方が、はるかに使える戦力になったものと思われます。
また、敵陣に潜入して情報や物を盗み出すといった場合、誰にも気づかれないことが最重要事項となります。
その際に要求されるのは、息を潜めて隠れる技術や、敵の仲間になりすます演技力です。
それらも広い意味での体術ではありますが、華麗な格闘術とはまるでイメージが違います。
つまり、実在した大多数の忍者に必要だった体術は、フィクションの中で見られるアクロバティックな技ではなかったということです。

忍者の修行カリキュラムを、「普通の人が一所懸命努力すれば身につけることが出来る内容」と推察する研究発表もあるほどに、平均的な忍者の体術は、等身大の技術だったようです。
それでは、忍者の象徴ともいうべき不可思議な技、忍術の実態は、どのようなものなのでしょうか。
有名な忍術といえば、先にも述べました姿を消す術、「雲隠れの術」、1人の忍者が分裂したかのごとく多人数となる「分身の術」などが挙げられます。

誰もが知っているこのような忍術は、実在するのでしょうか。
残念ながら、口上通りの術が存在するとは思えません。
雲隠れの術は、煙幕を張ったりすることで目眩ましをかけ、その隙に逃走する。
分身の術は、術者と同じ背格好・服装の協力者を待機させておく、といったところでしょう。

または、荒唐無稽な忍術を実際に使えるのだという嘘の情報を流しておき、敵を動揺させる心理作戦ということも考えられます。期待とは裏腹に、種明かしをされると拍子抜けになるようなものがほとんどです。

しかし、だからといって、これらの忍術がインチキという訳ではありません。
トリックであれ、ハッタリであれ、実際に敵の目を欺くことができれば、それは術が成功したといえるからです。
このように、忍術は虚構と現実の狭間にある技術です。身体力学、生理学といった明確な答えがある体術とは異なり、自由な創造性が問われます。言ってしまえば、何でも有りなのです。

ですが、奇抜な発想のみで生き残ることがでるほど、戦国の世は甘くなかったことでしょう。
目眩ましに成功しても、そこから退くか攻めるかを判断し、実行に移すには度胸と技量が必要となります。
なんの裏付けもない100%のまやかしでは、目の前の現実を変えることはできません。
本物の忍者達は、閃きや想像力・思考力によって得た忍術と、一所懸命練習して会得した体術とを組み合わせ、その職務を全うしていったのです。

さて、何故この内功武術の紙面において、唐突に忍者について語ってきたのかと申しますと、私自身が、未だに忍者の幻想を追い続けている、忍法体術学習者の1人であるからです。
発想の転換を求められる忍者の騙し打ち的技法には、おおいに好奇心を刺激されます。

しかし、やればやるほどに、根幹をなす体術の基本、身体操法の重要性に気づかされるのです。
忍者の忍術・体術のみならず、実在する全ての武術の技には、種も仕掛けも存在します。
はじめて姜氏門・太極健身学舎の扉を叩いた日のことを思い出してみてください。
学校で習った内容とは随分違った立ち方・歩き方に、戸惑った方もいらっしゃるでしょう。

しかし、ちょっとした秘訣、すなわち人体に組み込まれている仕掛けとそれを生かす操法により、ただ立っているだけ、ほんの少し手足を動かしただけで、大きな力を出すことができると知った時、誰もが感動を覚えたのではないでしょうか。
もし、それが実演を目にしただけならば、「何年も修行すると出来るようになるのであろう」、と他人事のような納得に落ち着いてしまったかもしれません。

ところが、先生に姿勢を直して頂くことにより、自分にも技術の再現が出来ること~実は現時点の自分の中にも、まだ使いこなしていない仕掛けが眠っていること~を認識した時、そこに知的探求心を越えた大きな希望を見いだしたのは、私だけではないと思います。

これからも、より身体操法への理解を深め、現代の護身・健身へと応用していく道を探っていきたいと思います。

会員 N

合宿を振り返って

秋合宿が終わって伸びをした時、体の奥のほうの筋が少しつっぱるような痛みがあった。
トレーナーという仕事柄、日ごろから筋肉トレーニングを行っているが、体の奥のほうが筋肉痛になることはほとんどない。
三日間の合宿で深層筋 (インナーマッスル)をとても使ったんだなぁ、と実感した。

常々、内功武術では深層筋群をとても使っていると私は思っている。キャリアの長い人なら、手足を動かしている時に体幹の奥の動きも感じているだろう。

しかし、ここで私が興味深く感じているのは、門人の方はおそらく誰も、深層筋を使ってその動きを行おう、とは思っていないだろうということだ。

私の経験からも言えることは、組み稽古の時は押したり引いたりする中で、力が滞ることなく発せられるにはどうすればよいかを考えながら動いている。最近流行の深層筋トレーニングではどうだろう。
コアトレやインナーマッスルエクササイズと呼ばれるものは、まずお腹を凹ませる練習から始める。そして、お腹を凹ませたまま動く練習をする。

アスリートレベルでなければ、途中で押したり引いたり、抵抗をかけて確認することはあまりない。その結果.一連の動きとして成り立っていないこともままある。実は、お腹の凹ませ方にもいろいろあるということだ。
みなさんは、稽古中にお腹を凹ませるようにと言われたら、お腹を凹ませたあとの力の出かたを確認し、上手くいっていなければ少し変えてみたり工夫するだろう。

一連の動きとして成り立つようにしていくのである。
お腹を凹ませて動くことが目的ではなく、力の繋がりがある動きになるようにお腹を凹ませることもある。
だから稽古を積み重ねていくと、中心から末端、そしてその先まで繋がった一筆書きの動きを身をつけることができる。
みなさんは意識せずして、レベルの高い深層筋トレーニングをしているといえるのではないだろうか。

このような稽古方法は、筋肉を鍛えるだけではなく、これだという感覚的な確かさを培っていくことになる。
そういった感覚は日常での動作に自然に波及していく。

姜氏門に入って九年経ったが、稽古を始めてから、姿勢や歩き方、その他の動作も良くなっていき、それが元に戻ることはほとんどないように思う。そしてそれは今も進行形である。
よい動きを習得すること。

体感覚の鈍ってしまった現代人にとって、それはとても大切なテーマだろう。
その答えが姜氏門にはあると私は思う。

会員 M

東洋体育との出会い

 中国武術に興味を持ったのは高校生の頃だったでしょうか、別冊宝島から刊行されていた、「もっとしなやかに生きるための東洋体育の本」という本を見つけ、読んでみたことからから始まります。
子供の頃から、頑強という感じではなく、筋肉を鍛えて力でなんとかしようという西洋的な考えは自分に合わないのでは、と考えていました。

しかし、読んではみたものの、今一つ良くわからず、いずれ実践したい、習ってみたいという思いを強くしました。
社会人になっても、どこで習ったらよいのか分からない状態でしたが、28歳の時、新聞に載っていた、日中友好協会の教室案内を見て24式太極拳を習い始めました。套路主体で少し基本功などを行うといった内容でした。その後、套路をやっていても、ふと、自分は何をやっているのだろうということがよぎり、このまま続けていっても何か身につくのかという感じでした。

 このような中、2000年に伊与久先生の稽古を見学し、こういうものをやってみたかった、と思ったものの、当時は人と組んで練習するのであれば、体格もそれなりにあった方が良いだろうと、体重が50キロ超えたら参加しようなどと考えていました。その後、鄒先生の講習会に参加し、立ち方もできていなかったのかとショックを受け、始めるなら今がタイミングと稽古に参加することとなりました。

稽古では、身体を整え操作できるようにするための身体作りを、いろいろな動作を行う中で養ってきました。しかし、うまくできた時は力の返りがないため、感覚で捉えにくいものです。まずは頭で考えそういうものとして動くしかありません。かくも自分の体を操作することは思い通りに行かないものと痛感しています。
空間の中で相手との位置の取り方、また、剄を伝えていくためタイムラグ(時間差)をどのように作るかなど学びがいがあり、毎回の稽古で貴重な時間を過ごしています。

 今、太極拳を中心に愛好者は日本のみならず世界にも数多くいます。ここ日本に東洋体育の知恵が詰まった姜氏門の武芸が伝わり、クラシック(時空を超えていくもの)なものとして現代の生活の中にも活き後世には生きものとしての人間にとって、重要な規矩(身体の扱い方)になってくるのではないかと思います。

健康にいいからなど、あまり考えたことがなく、純粋に動くのがおもしろく続けてきました。
まずは、確信を持って動作できるように取り組み、体格差に関わらず自然で無理なく動けるようにしていきます。今後は、異なる文化・考え方を学ぶおもしろさと共にこの伝統を伝えていける一翼を担えないか、というのが今のささやかな思いです。

会員 H

太極剣と太極拳 ‐難しいけどわかりやすい‐

 5月4日の講習会や金曜・日曜教室の太極剣の練習を通じて、剣の難しさ奥深さ、そして、姜氏門でやっているその他のコトとの相関関係をとても感じます。

 太極拳では気持ちを指の先の先、何も無い空間まで意識をめぐらせて動きますが、剣の場合はさらに剣先の先まで、剣の分だけ腕が長くなったようなもので、もっと遠くまで意識をめぐらせて動くことになります。

さらに、腕が長くなった分、余計に胴体を活用しないと、剣先まで力が届かなくなり手打ちになってしまいますし、そのうえ、体の切り替えを速く行わないと剣に体が遅れてしまいます。また、新たに、刃という物の性質を考えながらの動き(自分を切らない・どんな角度で当てたり引いたりしなければならないなど)が加わる。などなど、素手の太極拳より、さらに深い動きを要求される難しさがあります。

 そのかわりに、剣という目標があることで素手の時よりも、意識が手の中で止まり難く、その先まで通しやすくなります。そのうえ、武器の分長くなるため、相手との内外がわかりやすく、どこに身体を置けば安全かつ有利な位置なのか、判断がしやすいと感じます。

さらに、剣の長さの内に入ることができるので、素手の時よりも入(いり)身(み)の感覚がわかりやすくなると思います。また、剣の重量を利用し全体のバランスを調整することで、重さを丹田に集約する感覚が出やすくなります。

 太極剣は太極拳よりも難しいですが、太極拳も太極剣も行っていることに違いはありません。素手の太極拳では見えにくかった部分により強くスポットが当たることで、太極拳(内功武術)でやりたいコト、体の中心からの連動や入身、全体でのタイミングの合わせ方などのとても良い練習台となり、太極剣が上手になればそのまま、太極拳の上達に繋がると思います。

会員 A

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