エクステンション
男は女の言葉を知るべし。女は・・・??
これは私が男だから特に感じるのですが、いわゆる男の論理、方法論というものがあり、現代はその雰囲気が一段と強い、というか「当たり前」な考え方として敷衍された時代だと感じています。
武術を稽古していると、一面的な勝敗であったり、肩なら肩、腰なら腰、というように、部分部分にこだわったり、いわゆるド壺にはまって出られないことが多々あると思います。
できなくてイライラが募ったり、むしょうに疲れて結局自分は何をしているんだろう、と空虚になったり、そんな気持ちを経験した方は多いのではないでしょうか。
この拘り過ぎる心を、私は、いわゆる男の論理を、無反省に受け入れてしまった結果生じたものだととらえています。
限定、拘りが強すぎると、楽しかった稽古、美しかった先生の動きの印象、充実した仲間との友誼、こういったキラキラした気持ちを一瞬にして灰色の風景にしてしまう場合が少なくありません。
言葉、文脈、ニュアンスなどは、その人の思考を形造るのに決定的な影響を与えるものです。
思考が目的至上、結果至上主義にならざるを得ない言葉の使い方というものがあり、現代の日本人のしゃべり方、考え方のスタンダードが、これであると思います。
だからといって決して「女言葉でしゃべる」というのじゃないですよ。
男の方々は女の人に、その思考法の良いところを、虚心に学ぶべきだと思うのです。
自分はそんなもの、学ぶ必要はない!と限定している人は、すでに全体性の豊かな生命力から自らを遠ざけているのだと思います。
一方、男の論理がまかり通る社会において、女が強く生きてゆく方法として、男言葉で考え、女男として生きている女性、または男の理想の女性像を演じることで順応しようとする方も少なくありません。
そういう自覚がある方がいらっしゃるなら、自分の持っている、女性の良さというものに想いをはせてみることをお勧めします。
「あたしはオンナそのもの!」と胸を張って言える方は、ぜひそのままで、今の難しい時代を、柔軟な感性で豊かに彩ってくださいませ。
硬直した感性では、カタチとそこに流れるものの交歓ははじまりません。
内功武術の理想は、男女ともに夫々の中に陰陽相斉整った状態で発動するのです。


